令和5年2月28日
寒さで寝付きが悪い。これは私の寝床が障子が近いためだ。しかし これでもだいぶ寒さは緩和されたという。
別火坊となる戒壇院の庫裏は何年か前に改修がなされ、隙間風などは全く入ってこないようになったという。それまでは外にいるのと変わらないような寒さであったそうな。幸いにも私はその時代を知らないが、寒いもものは寒いのだ。
別火坊での最終日は、やはり晴れてほしい。もちろんそれはこれから待ち受けるお引越しのため。今までに用意したあれこれを運び出さねばならない。
東大寺の地理に明るくない皆様には分かりにくいかもしれないが、別火坊は東大寺の境内の中でももっとも西にある建物。
そこからも最も東の、最も標高の高い二月堂へと向かうのだから引っ越しも一筋縄ではいかない。歩いて向かうだけでも10分以上歩くような距離だし高低差もある。
(東大寺境内図)
現在でこそ文明の利器「軽トラックさん」がいらっしゃるが、かつては童子さんが天秤棒に葛籠を引っさげて持っていったとか。頭の下がる思いだが、なぜわざわざ本堂から遠く離れた場所で籠もるのか不思議に思う。
十四時頃から引っ越しが始まるが、これもまたただ荷造りしてハイおしまいというわけにはいかぬ。ここにも様々な作法がある。その中で「テシマ縁裁ち」という妙な作法について紹介しましょう。
こちらはテシマゴザ(豊島蓙)と呼ばれるゴザで、総別火に入った練行衆は身を清浄に保つために「地」との接触を避けます。
地面に汚れを見出すことには、具体的に典拠を見つけることができなかったのですが、天女などが地面に触れないことは物語上でも見られ、竹取物語でも天人が地面に触れない記述がなされる。これは地面の穢れに触れないためではないかと考えます。
修二会で用いられる「糊こぼし」なども一度地面に触れてしまったものはチリとなり使用することができなくなってしまう。
このように「地面=ケガレ」として扱う。ところでこの地面に対するケガレの感覚も、どうにも近年は薄れているように感じるのだが、皆さんはどう感じられているでしょうか。
さて、一般に流通しているゴザにはヘリが付いていてバラバラにはならないようになっていますね。しかし、修二会のゴザではそれがなく、両端のい草が伸びた状態。そんなものだから使ってるうちにポロポロとい草が落ちてくる。
このゴザも毎年ご寄進されるものであるのだが、納入された時点では両端が切りそろえられていない状態であるという。練行衆の使用前にすでに切りそろえられているので残念ながら手元に参考になる写真がありません。
昔はこの上堂のタイミングで両端を裁っていたのではないかと言われます。時間になると加供奉行が「テシマヘリ裁ち、お行水」と声掛けをし、練行衆から丸めたゴザを受け取り部屋の外へ持っていきます。
しかし、現在ではすでに裁ってあるので、そのまま戻すだけという形式のみの儀礼となっています。修二会にはこのように形のみを残した作法が多々あります。伝統行事と呼ばれるだけあって、受け継いできたものを残すことが重要視されているのでしょう。
ちなみに100年ほど前の私日記には、「晦日の朝にヘリを裁つ」とあったのでもしかしたら練行衆が自分で行っていた時期もあるのかもしれませんね。
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