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執筆者の写真望月 大仙

処世界さんの日記(九)

令和二年二月十九日



 天気は晴れ。朝の九時に堂童子さんがお引越し。練行衆とともに、三役と呼ばれる「堂童子」「小網」「駈士」も、別火坊にて精進潔斎を行う。


 そのなかでも特殊な立ち位置にあるのがこの「堂童子」。走りの行法や、達陀の際に戸張を巻き上げるようにしている姿はテレビでもよく映っていましたね。この堂童子というお役目は奈良時代、修二会が始まってから代々受け継がれてきたといいます。


 お寺、というのは本来妻帯できない出家した僧侶の住む場で、世襲制になったのはそれこそここ100年ほどのことです。なので、代々続く家というのは存在しません。逆に、お寺を支える人々は世襲され、気の遠くなるような年月をそのお寺とともに歩んできています。京都や奈良にはそのような家がいくつも存在していると言います。


 堂童子さんもその一つで、まさに1270年という歴史をその身で体現しているという稀有な方です。BSの放送では「「えらいもの」を背負った」とおっしゃっていましたが、背負うことがえらいことだと感じ入りました。


 この日には講社の方がいらっしゃり、しめ縄を締め別火坊が結界されるのです。こうして、残りの練行衆をお迎えする準備が整っていきます。(どの講社の方かメモ書きはしてあるのですが、確定した情報がなく書けません。申し訳ありません。ご存じの方がいれば教えて下さいませ)


 そして、この日は一人試別火最後の日。明日には練行衆全員との共同生活が始まります。そんな日のお昼ごはんには、なんと、ナスが出ました!


 「え?ナスが出たから何なの?」と思われるかもしれませんが、これは私がずっと食べたいとおねだりしていた一品なのです。


 ナスは御存知の通り旬は夏から秋。2月の奈良では本来食べられない品ですが、農法の進歩によっていつでも食べられます。しかし、やはり味は落ちる。そうなると院士さんは納得されません。こだわりのある素晴らしい職人なのです。しかし、私もそこを押しておねだりしていたわけですが!ついに、念願のナス。


 院士さんの腕によりをかけたお料理にご飯が止まりません。いつもどおりおかわりを繰り返す私。この頃にはすでに大食らいの称号を得ていた処世界さんは遠慮というものは知りません。大変美味しく頂戴しました。


 さて、そんな一日を過ごす中で私はとあるモノの工面について考えておりました。それは「瓶」です。そう、「香水瓶」。修二会に籠もった者は昨年に取った香水を分けていただけるのです。仲間として籠もった10年前にも少しく分けていただき、信徒の方々にお分けしたものです。


 その香水瓶ですが、まぁ完全に存在を忘れておりまして「どうしたものか?」と悩んでいるところ、たまたま使い終わった酒瓶が目に付きました。おぉ、これはいい。これを香水瓶にしてしまおう。


 そう思った私は大炊さんにお願いして瓶をお湯できれいにしておいてくださるよう頼み、私は「獺祭」と書かれた香水瓶を手に入れたのです。もちろん、私は中身は一切飲んでおりません。私はかれこれ4年ほど不飲酒戒を持しておりますゆえ。


 しかし、この行動が後々後悔を生むことに…


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