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執筆者の写真望月 大仙

処世界さんの日記(参拾一)

令和三年三月一日


「只今上堂!只今上堂!」  本行に入ると加供奉行が声を張り上げて高々と叫ぶ場面がよく見られる。10年前の仲間時代に聞いたものと変わらない声だ。練行衆が参籠宿所から動く際には、加供奉行の合図がある。逆を言えば、加供奉行が合図しなければ動けないとも言う。責任のある役職だ。  加供奉行は仲間の取りまとめという役目以上に、童子を含めて参籠宿所における進行の取りまとめを行う役職である。何年も籠もった経験のあるベテランの仲間が加供奉行として繰り上がることが多いようで、この年の加供奉行も例にもれず若い頃から仲間として鍛えられたベテラン。非常に頼りにしております。  上堂用の袈裟を身に着けて、童子を伴い二月堂北の回廊をゆっくりと登っていきます。回廊を登ると、その先に「遠敷神社」があるので登りきった辺りで念珠スリスリ、パンパン拍掌、護身法して念珠スリ。東大寺では基本的に神社の前を通る際はこの作法になりますね。  いよいよ、二月堂の中に入ります。二月堂の礼堂に入ることは何度もありますが、内陣に入るというのは全く別の経験です。写真の中でしか知らない世界がそこに待っている。処世界日記や次第を見ながら想像した脳内内陣。おそらく、皆さんも頭の中に「こんな感じなのかなぁ」という脳内内陣図が広げられていることでしょう。  礼堂に入ると上堂用の板草履から差懸(さしかけ)へと履き替えます。ちなみに、この履き替える場所は決まっていて処世界さんはこのあたりですね。来年も同じ場所で履き替えることになるので混乱しなくて助かります…。  この差懸を正式に履くのも初めてのこと。聴聞された方や、NHKスペシャル、ニコ生やYoutubeで拝見された皆さんも耳に残っていらっしゃるでしょう?あの足音。ガタンゴトン。ガタンゴトン。重く大きな音を立てて歩く様子。また、楽器のようにあえて音を立てるような足の踏み方。憧れませんでしたか?私は早くあれがやりたい!とワクワクしていました。  堂司以外の練行衆が堂内に揃うと全員で敢えて大きな音を出すように足踏みをする。ダン!ダン!ダン!ダン!練行衆は一列に並び、内陣に入るのを今か今かと待つ。先頭は大導師。処世界である私はその後ろに着いて、袈裟から伸びている「修多羅」と呼ばれる紐を握る。これから練行衆は内陣に駆け込み、ぐるぐると三周ほど回る。しかし、私にとって内陣とは未知の世界。しかも中に灯りなどない。当然だ。誰も入れないのだから。そんな中を差懸を履いて走ることができるだろうか?どこかに引っかかったり蹴っ飛ばしたり転んだりすること請け負いだ。  そのため先導の大導師についていくため紐を握り後に付いていく。堂童子が内陣の鍵を開けると、だだだだだだだ!勢いよく走り込む。中は真っ暗。格子から覗く灯明だけが目に入る。想像以上に広い内陣。暗い中でとっかりがなく、まるで宇宙の中に放り出されたような不安とそして高揚感を胸に必死になって大導師さんの後ろをついていく。  ガタガタと11人分の差懸の音が堂内に鳴り響き、走り終わるとかえって静けさが耳にのこるようで、静寂の満ちた空間が残る。そして、そこには写真や戸帳の隙間から見たような光と闇のきらびやかさなどは全く無い。暗く、ホコリが舞い、抹香やススの汚れ、使い込まれたツルツルになった床や柱。ただひたすらに使われつづけた「行」の歴史が刻まれた重厚な場があるのみだった。そして大観音さんのおられる大きなお厨子。その威容にはここが祈りの空間であることを強く印象づけられます。あぁ、ここがこのお寺の行の場なのだ。この場こそが東大寺というお寺をつなぎ続けたのだと実感します。  今、一年の修二会を振り返ってみても、この内陣に初めて足を踏み入れた瞬間が最も印象に残っている場面です。これは一生に一度しか得られない衝撃であり、この瞬間の感動こそが私がこの日記で最も皆さんに伝えたい景色なのです。これを経験することで初めて練行衆としての自覚が生まれ、祈るための行への不退転の覚悟が生まれる。そして、それはすべての練行衆が経験したことでもあります。一種の通過儀礼であるとも考えます。

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