修二会公演を終えて その1
令和五年の修二会は3月で終わりませんでした。
5/13には大阪のフェスティバルホールで、5/20には東京の国立劇場で行われた修二会の声明公演。どちらも無事に勤修され、大変多くの方が修二会の祈りに触れることができた素晴らしい機会になったのでは無いでしょうか。
二月堂ではここ二年間、新型コロナウイルスの感染予防の観点から「局」と呼ばれる聴聞のための部屋への入場を完全に締め切り、声明を聴くことが難しい状況が続きました。
その一方でニコニコ生放送、Youtube、そしてNHKでの放送にBD・DVD化などメディア媒体での広がりを見せたことで今まで修二会を知らなかった人にも、修二会という行事に触れることができたのは怪我の功名とでも言いましょうか。
今回の修二会の声明公演はコロナ禍とは全く関係なく進んでいたお話で、私自身がお話を伺ったのは昨年の修二会の最中であったと記憶しております。その時は国立劇場での公演のお話のみでした。まだ三年目の処世界だった私は大導師さんからそのお話を伺い、関東のことだから出てはどうか?と提案されましたが「まだまだ未熟な身ですから出演などだいそれたことです」と答えてしまいました。
もちろん、その気持は本物ですが、僧侶としての実績を積まねばならぬ身の上、そして何より目立ちたがり屋な性分が、「ここで「ぜひ!」と答えておけばよかったじゃないか!」と何度も頭の中で声を上げたものです。
もう出演はできないだろうなと諦めていたところでしたが、昨年の12月に東大寺に伺った際には幸いにもお声がかかり、出演する運びとなりました。そこで大阪でも公演があるというお話も伺い「これは思ったより大変なことかもしれないな」と気を引き締めることに。
四年目の修二会は一つ役職が上がり「権処世界」としての参籠。声明公演でもそのお役目としての出演。処世界とは異なり仕事は少なく、一人で何かをするという場面はありませんから六時の声明ではガワとして精一杯声を出そうと意気込んでおりました。
しかし、蓋を開けてみれば「晨朝」の時導師を任せられることに。時導師はどのお役目も重要であることにかわりありませんが、晨朝の時導師というのはちょっと癖がある。「供養文」と呼ばれるソロパートから始まり、所作も素早く勢いのある作法が続く。一つ間違えると連鎖的に間違えてしまうこともしばしば。
しかし、私も4年目の練行衆。晨朝の時導師は10回以上務めている。満行からまだ2ヶ月と経っていない。まだ身体に時導師の声、動きは染み付いている。そこは問題ないはず…。
一方で問題になるのはタイミングだ。今回の声明公演では作法の省略が課題になった。六時の行法や読経、走りなど複数人が絡む動作は省略が全くない。一方で一人の作法である大導師作法や咒師作法は大きく省略されることになった。
特に咒師作法は堂内を結界して回る動きを伴う作法だ。一連の流れとして身体に焼き付けているために、修二会本番と異なる動きをすることに咒師さん初めは戸惑われていた。私も晨朝の時導師として出ていくタイミングが思ったよりも早く、初めはちょっと混乱したものです。
そのため、何度も奈良に通い、お稽古を繰り返して公演用のタイミングを身に着けていくことに。修二会が終わっても奈良がこんなにも身近に感じられるとは思いもしませんでした。(ついでに東塔の落慶法要にも参加できたり)
(お稽古は東大寺本坊にて)
さて、月日は百代の過客にしてあっという間に大阪公演の準備の日。5/13の公演に向けて5/11には現地入りして飾り付けなどの準備に勤しみます。初めてやってきた大阪は中之島、フェスティバルホール。
東京の中心部ともまた風情の異なる中之島。その中にあって存在感を放つ高層のビルにそのホールは入っていた。中之島フェスティバルタワー。高さは200メートルにもなる超高層ビル。まさかこんな現代的な場所で奈良時代から続く法会を行うとは…。
面食らいながらも駐車場へ入り、楽屋口を通って控室へ。印象はきれいオフィスといった具合でしょうか。窓も大きく、梅田へと伸びる一方通行の大きな道路を眼下に見ることができます。大阪は水の都とも言われるように水運が盛んであったという。その中心部であることを示すように大きな川が流れ、それに沿うように延々とビル群が続く。阪神高速はちょうどカーブする部分に当たり、強くバンクした道路を車が勢いよく流れていきます。まさに都会ど真ん中。
他の練行衆よりも早く着いた私はエントランスや客席なども案内してもらいます。赤いカーペットに彩られた広いホワイエ。フェスティバルホール名物の長ーいエスカレーターにはそのホールの大きさを入場前から視覚的に実感させられます。
客席は2300席。ほとんどの席が埋まっていると聞きましたが、この座席いっぱいに人が入るなんて想像できませんし、したくないなぁと少し現実逃避。舞台には修二会のセットがすでに用意されており、ほぼ原寸大に作られたという須弥壇はまさに二月堂そのもの。
細かい部分まで再現されており、原寸大の写真から作り上げられたそうで私を含め皆その出来の良さに驚嘆しておりました。そこに東大寺から運び込まれた法具を荘厳していきます。今回の公演ではほとんど二月堂で用いられたお道具をそのまま使用しております。
まず皆様の目についたのは修二会の火でしょう。「常燈」「中灯」「神灯」などの灯明皿は二月堂から運び入れたものを使用しました。さらに練行衆が座る「ゴザ」に須弥壇の「六器」「香炉」「花瓶」なども同様です。
それらを二月堂同様に荘厳していく。気分は三月一日の日没。皆で協力しながら壇を飾っていきます。三月と違う点は「壇供」がないことでしょうか。流石にお餅を用意することは叶わなかったのか、壇供は無し。なんとなく日中開白のような、八日のような不思議な気分です。
花瓶にいれる椿も本物の糊こぼしでは無く、ワークショップで造られたものを使用。芯はコルクを使用しており、本来ある黄色い雄しべの部分は省略。色合いも明るく、紙質もちょっと異なります。それを椿の木を模した枝に差し込んだもので、大きいものを四方に、小さいものは六器とセットになってる花瓶に挿していきます。
二月堂では生木に糊こぼしを差し込んだものを用いており、揺れるたびに落ちたりするのも特徴です。落ちた糊こぼしは再利用できません。練行衆と同じく、地面に触れてはならないのです。芯材はたしかタラノキで、柔らかく枝にも差し込みやすい。感触としてはコルクに近いものがあるので代用するにはピッタリかもしれません。
(左が今回使用した糊こぼし。右は修二会で使用したもの)
そうして出来上がった内陣の雰囲気は中々もの。劇場を暗くして燈明に火を灯せばそこには幻想的な景色が浮かび上がります。一方で油煙がこれでもかと立ち上り、照明は大丈夫なのだろうかと心配になるほど。同時に内陣の空気の悪さを改めて実感する次第です。
翌日も準備は続き、セットに本番同様に紙手を貼り付け、読経や破偈を入れるスペースを確保。更に前後半での入れ替えなどの調整を行います。そして、本尊の十一面観音菩薩の開眼供養。導師と共に真言を唱えてご供養する。この時点でこの場は本堂となったのです。一通りの準備を終えたらリハーサル。
リハといってもすでに中心には御本尊様がいらっしゃる。練習という意味合いは無く、もう一つの本番に他なりません。手を抜かず、二月堂での法要さながらに一心に行じ、祈ります。リハーサルが終わったのは夜の八時半ごろでしょうか。皆心身ともに疲れ切っており、すぐ近くのホテルにチェックインすると柔らかいベッドに身を任せ夜の眠りにつきました。
久しぶりの行法に身体が驚いてしまったのやもしれません。本来であればこれを毎日行うわけで、今年もそれができていたのですからここまで消耗するとは。北二さんも「次第時のように疲れた」と仰っていました。(次第時とは一日目に行う通常よりも丁寧な悔過作法のこと)
続く…
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